エクセルの効率化

①メール配信者リスト

②メール配信に関係なく、全体の申込者リスト

 

今回、厄介なのが、申込者リストのなかで、

複数商品申し込んだ人は、購入数ごとに列が出力されていることだ。

 

これを特に加工せずに扱おうとすると、集計が面倒だ。

 

これらの一致するデータの件数を集計するのに、count if関数を利用した。つまり、メール配信者の横に作業列を置き、申込件数を出力した。

作業列の1以上の人が、メール配信した人で申し込んだ人の数。これが何件あるのか、数える。

3つの工程を踏んで集計したが、一回で終わる方法はないか…

 

一致するということは、あるセルとセルの値が等しいということ。等しいということを関数で表現すると、exact関数。

一致または不一致した場合になんらかの値を返す、という意味ではif関数。◯or×、あるいは1or0と、出力する値を選べる。

これからは、比較するセルが横並びの場合を想定している。

列数が違うデータを比べるには…

つまり、2つのデータを比較し他方にない(両方にある)データを探す。

https://www.helpforest.com/excel/fx_sample/ex070014.htm

このブログによると、

count ifか、vlook upしか方法はないらしい。

vlook upだと、一致した場合に、一致した値が出力される。それだと、何件一致したのかが分かりづらい。

 

一方で、申込データをユーザーごとに集計し直すと…つまり、count ifを使い、ユーザー名が重複した回数をカウントする。そして、ユーザー名が重複した列を削除する。これを②-bとする。

 

このデータを使い再度集計をし直す。

すると、①に②-bの申込件数列をvlook upで引っ張ってくると、メール配信者が何件申込にいたったかがわかる。

 

なぜ、大概のデータが出力される際に、ユーザーごとに申込み件数で出力されるかがよく分かった。商品が何件申し込まれたか、とユーザーが何件申し込んだかの違いだ。簡単なケースだが、データの加工方法は用途によって違うことがわかった。

 

新築マンションの紛争

目の前にマンションが建つ。ということで、紛争を防ぐための、説明会が持たれた。私は賃貸契約で、いつでも引っ越せるので、全く気にならない。一方で、こういう会が開かれるということは、文句を言う人が一定数いるということだろう。

家を買う、という時、様々はリスクがある。近隣住民との不和、住む街の治安悪化、転勤、などなど数え上げたらキリがない。それらのリスクを踏まえた上で、家を買うなり借りるなりしている。

ストックか、フローか。家だけでなく、高額な出費の際には、一度検討しなければいけない。持つことのリスクがどこにあるのか。

フリーランスはたくさんはたらく

フリーランスはたくさんはたらく

やりたくないなら、やらなくてもいいよ。替えはいくらでもいるから。そんな無言のプレッシャーを受けつつ、深夜まで働き、ときには朝5時6時になることもざらだ。もちろんなかには愛情深い人もいるが、仕事を回すためには容赦がない人も多いのは事実だ。正社員は組織に守られているが、フリーランスは守られていない。多数派と少数派の対立が露わになる瞬間だ。こんな仕事やりたくないし長くは続かないという種類の仕事なので、フリーランスという雇用形態が選ばれるのだ。仕事を選ぶなというが、正社員なら、休職の嵐だろう。労働時間が長く、深夜朝方も働くというのは事実だ。もちろん正社員にも仕事のプレッシャーはあるが、潰れたとしても出世コースから外れるとか飛ばされるだけでそう簡単にクビにはならない。会社にも体裁があるので、そうやすやすと社員へ圧力をかけるわけにもいかない。

 
本などで語られる理想論では、自由な働き方を手に入れるといったことがある。あれは真っ赤な嘘だ。真っ青な顔をして働いているのが現状だ。会社からすれば、工場みたいなもので、ただただ作業をひたすらにしてくれれば文句はないというわけだ。
 
フリーランスはスキルがないと地獄
大前提として、なんのスキルもない人がフリーランスになるのは無益だ。ただキツイだけだ。足元をみられるだけだ。かたやスキルのあるフリーランスはけっこう楽しそうだ。時間も仕事内容も自分で決められる。おもろいことをするという自分の感覚で生きられる。これは本に書いてある通りのようだ。だが、世の中の大半の人はそのような働き方はできない。会社の歯車となってはじめて機能している。
 
だから、いま企業で正社員なのであれば、この場でなにが学べて、その分野で金を稼げる領域は何かと考えたほうがいい。スキルがあるという前提もなしに鞍替えするのは、水の張っていないプールにダイブするようなものだ。飛んだ瞬間は気持ちがいいかもしれないが、そこに水はない。あるのは硬いコンクリートだけだ。それなら、陸上でフォームの練習でもしていたほうがいい。私はいまプールに水がないことに気づいて、痛む足を引きずりながら、右往左往している。大事故だ。
 
フリーランス(にはかぎらない)に必要なスキル
この容赦ない現実の中で、ウェブの工場作業員としては、闘わなければいけない。作業員には作業員なりのやり方があるはずだ。トヨタの工場員と、なにも考えないアルバイトの人では仕事に対する向き合い方が違う。それに現場でしかわからないこともある。なにかを作るという点では、現場感が必要なことは間違いない。
 
世の中を渡っていくには、自分で水を張るか、水のあるプールまで移動するしかない。プールに水をはるには、需要を見つける、作り出すことが必要だ。そのためには、自分がなにができて、他人が何を求めているのかを把握しなければいけない。想像力が根本にある問題だ。他人の気持ちがわからない自分としては至難の技に思えるし、自分の中に使える武器がなんなのか見当がつかない。結局、おもてなしの心というか、人が何に喜ぶか何を嫌がるかを理解していなければ話にならないのだ。この感覚を身につけるのは並大抵のことではないと思う。たいていの仕事は客の姿が見えづらい。何を考えているか言ってくれるわけではないし、そもそも本人が気づいているとも限らない。隠れたニーズを見つけ出すわけだから、難しいに決まっている。需要のある場所に移動するのにも、自分がなにができて、他人はなにを欲しているのかを把握しなければいけない。
 
フリーランスの自由な働き方
需要、ニーズを見つけ出して、それを満たすスキルがあってはじめて自由な働き方ができる。それなしでは、ケガをするだけだ。ただ、唯一の救いは現場にいるということだ。客の位置が近い。姿を比較的捉えやすい。なにか改善をした時の反応も見えやすい。相手の立場や心情を徹底的に考え抜くことが大事だ。
 

はじめてのWEB

・ウェブのことはわからない

コンビニ店長からウェブ系の仕事をすることになったが、仕事の内容ははじめてのことだらけだ。というか、もともとパソコン自体さほど障ったことはない。大学の課題で使ったりインターネットでの検索で多少使ったくらいだ。知識欲もないので、インターネットを使った検索も対して試みたこともなかった。

 現在の仕事の内容は、ホームページの更新・管理業務とYoutubeチャンネルの管理代行だ。基本的に、きめられたことを決められた日時に正確に行うのがすべてだ。現在の職場にはデザイナー、エンジニアがいるので、自分に専門知識が必要なわけではない。粛々と雑務をこなすだけだ。

 ・とにかく調べる、聞く

だが、それなりにウェブやPC関連の知識は必要で、「HTML…んん?」とかを口走ってしまうと、周りの人にドン引きされる。わからないことはまず調べて、知っているふりをしてこなしている。調べてもわからない時は、先輩方に素直に聞いてしまうが。

職場で交わされている言葉を自分なりに調べる中で、少しはウェブ周りの知識がついてきたように思うが、驚くのは知識を得ようと思えばいくらでも記事があることだ。コンビニだと業務中にさくっと調べてその場で対応するというのが難しい。ありものでどうにかするという感じが強い。だから引き出しがある人が優位だ。だが、ウェブの領域の場合、その場で調べれば答えかそれに近いしいものは見つかる。だから、頭に知識を詰め込むよりも、知識をインターネットで検索する能力の方が大事なようだ。

・ネット記事のよみかた

ネットの検索に慣れるのに非常に時間がかかってしまったが、もともと使ったことがなかったぶん、いくつか気が付いた点がある。

①記事はざっと読む

その記事が直面している問題に関係があるのかないのか、すぐに把握する。

②記事を丁寧に読む

該当の記事が見つかったら、手順等を丁寧に読む。検索している勢いで適当に読んでいると失敗する。コンピューターは人間側のミスには対応してくれない。正確な作業が必要。

③記事を整理する

一度読んだ記事は自分なりにカテゴリーを分けて整理しておくのがいい。大抵、あれどうやったんだっけと調べる日がくる。同じことをもう一回検索するのは無駄だ。

この3点は、情報をスピーディーに拾ってくるのに大事なことだ。ずっとネットに触っていると慣れてきて意識しなくなるが、初心者が気をつけるポイントではあると思う。

・ウェブとコンビニ業界の違い

インターネット業界のいいところは、他人に聞かないでもどうにか知識を得られることがある。人に頭を下げるのが嫌な人にはぴったりだ。同じようなことは既に世の中の人が悩んでいて、答えは示されている。ネットにかかれている。

コンビニの場合そうはいかない。主な情報源は店舗を管轄するスーパーバイザーだ。本部が情報をまとめて、各社員に落とすのだが、本部が情報を拾えていないこともあれば、スーパーバイザーが店舗に伝えていないこともある。商品の売り上げを変えるための答えは意外と簡単なものだったりするのだが、 問題点に気がつかなかないケースが多い。情報を拾ってくるための環境が、ウェブに比べると悪い。情報共有の仕組みがあれば、規模の効果が出るのだが、情報を共有するインセンティブを感じられないのか、主体的に情報を出そうとする人が少ない。同じ社内でも店舗間、スーパーバイザー間で競争があるというのも原因かもしれない。ビフォアインターネットの世界だ。

・これからの時代に必要なこと

これからは情報を引っ張ってくる能力が必要ということだ。一般的に、答えよりも問いを立てるほうが難しく重要だと言われる。ウェブの世界でも同じで、答えはそこら中に転がっているので、疑問をもって問題に気がつくことのほうが大事だ。情報を引っ張るためには、問題点に気がつかないといけない。ウェブサイトでもクレームにならずとも、このデザインがおかしいといったことがある。なぜを考える習慣を付けるのが第一だ。こういう習慣をもっている人とそうでない人では差が開いていくばかりだ。かたや高速道路、かたや一般道のたとえだ。

・どうやって情報を引っ張るか

現状疑問を持たずにぼんやりしている時間が大半だ。だから仕事の改善も遅い。どうやればうまくできるのかという疑問を常に持たないといけない。根本的に考えが甘い。自分で動こうというバイタリティもない。

知ってる人に聞けるということも重要だ。ツイッターならツイッターに勤めている人YouTubeならグーグルに勤めている人がたくさん情報を持っている。人と広く深い繋がりを持っていることが大事だ。それは仕事への信頼でもいいし、人間としておもしろいでもいい。

・くわしくなる方向をきめる

知らないことを知っているではないが、自分が持っている情報とその分野で1番先に行っている人が持っている情報の量を認識していないといけない。その差を埋めようという意識が、疑問を持ち、問題を改善する意欲になるのだ。他人との差が分からなければ、暗闇を手探りで進んでいるようなもので、どちらに進めばいいかわからない。足が速い遅い以前の問題だ。

 

考え方の甘さと他人への想像力

考えが甘いといわれるが、当の本人が気が付いていないことがある。先日の流行語大賞で「上級国民」の言葉が話題に上がったが、その発端となった会見では当人はそんな意味を含んだことを言ったつもりはなかっただろう。その意味では、他人の立場で徹底的にものごとを考えることが考えの甘さを排すことになる。

他人の立場でものごとを考えるのはことの他難しい。想像力をつけろ、思いやりをもてなどとよく言うが、具体的にどうするかの部分は個人の自助努力に任されることが多い。子供のころの教育やこれまでの人生の積み重ねと言ってもなんの意味もない。今なにができるのだろうか。自分の立場に引き付けてものごとを考えるのは一つの方法だ。自分ならどう感じるかと検討することは習慣にしていい。

世の中で想像力のある人間というと、小説家が「一般国民」と比べて高いように思う。比喩など言葉の使い方ひとつをとっても常人の感覚では思い付かない発想がある。物語を作れるということ自体途方もないことだ。人ひとりの感情の移り変わりを刻銘に思い描けることが想像を絶する。とはいえ、「普通の人」もそんな高度なものが身近にあり、日常的に親しんでいるのも事実で、普段使っている日本語の使い方を多少変えれば小説も描けるのかなという気もする。いや、小説を書けるようになるのは言い過ぎかもしれない。他人が読んで面白い売り物を作るのは特殊技能だ。だが、自分の物語を作るのであれば可能だ。人生は偶然の連続で、それを他人が理解できるように構成し直す。そのことは多くの人が無意識にしていることだ。

コンビニの店長やディレクターは、コミュニケーションが命だ。だが、私にコミュ力はない。口を開けば常に人をいらつかせる。ものの言い方を知らないというのもあるが、根本的には相手への想像力に欠けるのが原因だ。実感としては、想像力を働かせて他人と関わるのは不可能ではないかと思うほどだ。なんとかなんですけどー、などと語尾を伸ばしてしまったり、あなたのせいでこの仕事はうまく回っていないみたいなことを知らず知らずのうちに言ってしまう。

そんな私が想像力を身につけ、他人と円滑にコミュニケーションをとれるようになれば、なにかしらのヒントになるはずだ。恥を捨てて、というか恥の感覚すらない非常識な私だが、仕事の記録、自分の物語をここに残していこうと思う。


会社員からフリーランスになってしまった。

若気の至りである。コンビニ店長(チェーン会社の社員)からWEB業界(フリーランス)に転職してしまった。コンビニといえば、最近ハイテクノロジーがふんだんに使われていると各種ビジネス系の雑誌、記事でも話題だが、実務は極めてアナログだ。レジ打ちから始まり、掃除、納品・品出し・在庫整理、アルバイトの労務管理、金銭管理、あらゆるものがアナログである。おかげで家の掃除は速くなったが、ことビジネスという点では時代に取り残されている感が否めなかった。

そんな訳で時代の流れに乗ってみようと、WEB業界に身を転じてみた。ビフォアインターネットとアフターインターネットで時代は変わっていると言われるが、インターネットと冠する業種に身をおけば、時代の風を感じられるのではないかと。短絡的ある。

転職してまず感じたのは、旧時代の会社はまだまだでかいということだ。就活生には声を大にしてすすめたい。大企業を選ぼう。自分の能力を見誤ってはいけない。荒野でいきていけるのはごく一部の限られた人間で、大半はこき使われ摩耗し、いずれ使い捨てされていく。その点大企業は、たとえばブラック企業といわれども一線はひいてある。保険や休職精度は整っているし、さぼってもさぼってもお金は入ってくる。何か自分でしたいのであれば、会社の仕事を適当にして、空いた時間で副業でもすればいい。フリーランスは替えがきくから、それこそ死ぬほどこき使われる。嫌ならやめていいですよということだ。

さらに、大企業にいればネームバリューがあって、いろんな人に会いやすい。一個人であれば入れない門も、名刺一つで通れる。それを買うと考えれば、日中の8時間を捧げるだけでいいのだから、安いものだ。直属の上司はクソかもしれないが、もっと上の方の人は賢いから大丈夫。そう簡単には会社はつぶれない。つぶれたとしても、◯◯という会社に務めていましたというだけである程度の信用が担保されて、他の企業への転職も容易だ。

超人的な能力も持つ人達は言うだろう、「個人として稼げるようになれ」そんなものは無理だ。みんなができていないから、そういう発言が話題になって本が売れたりブログが読まれたりするのであって、みんながみんな、はいそうですかその通りですねといって、実行できることではない。凡人には凡人なりのビジネスライフがあるはずだ。フリーランスになったら個人として生きる何らかの目覚めがあって、自分自身が劇的に変貌し、バリバリにお金を稼げるように、なるわけでもない。それはもやはその人のそれまでの人生観や経験からくるものであって、覚悟も能力もないくせにそんな道を選ぶのはただただ無謀だ。

そもそも、未経験の業種に職を変えるという発想自体がよくない。給料をあげるためには、自分の経験・知見が活かせる業種を選ぶべきだ。Aという分野とBという分野を掛け合わせてクリエイティビティを発揮せよみたいなことがいわれるが、AもBもハイクオリティな仕事ができてはじめてできることであって、これから働き始める人や働き始めて数年の人が考えることではないし、ましてや凡人がそんな曲芸的な技をできるわけではない。むしろ企業の細分化された仕事を粛々とこなすのが、ビジネスマンのあるべき姿だ。経営者はそうはいわないだろうが、無理なものは無理だ。20数年いきてくる中でこりかたまってきた思考を破壊するくらいのことが必要で、そんなことは誰にもできない。人の人生はそんなに簡単に変わるものではない。学校でも与えられたものをこなすだけでよく、日常生活でもさほど生命の危険がおよぶような機会はない。そんな平凡な日々を過ごしてきた人に、クリエイティビティを発揮して仕事をしてくださいといっても、無茶な話だ。仕事をつくるのが経営者でそれをこなすのがサラリーマンだ。その棲み分けは明確にしておいたほうがいい。自分で仕事をつくれる人は、サラリーマンをやる必要はなく、経営者になっている。30年も下積みをして、宝くじがあたるかどうか待っているのはアホで、そんな人が経営者になってもロクなことはない。そういう人は経営者としてすぐにクビになるから心配いらない。

いつまでもいつまでも大企業の甘い汁をすすって、自分を大事に生きていくべきだ。それがこの激動の時代の、賢い生き方だ。会社がつぶれたっていいじゃないか。また別の会社に寄生すればいい。それを繰り返して、65歳までしのげれば、あがりだ。

…やっちまったなあ。

結論:大企業の会社員>フリーランス 

一言:「能力のない人が無理をするな。」