会社員からフリーランスになってしまった。

若気の至りである。コンビニ店長(チェーン会社の社員)からWEB業界(フリーランス)に転職してしまった。コンビニといえば、最近ハイテクノロジーがふんだんに使われていると各種ビジネス系の雑誌、記事でも話題だが、実務は極めてアナログだ。レジ打ちから始まり、掃除、納品・品出し・在庫整理、アルバイトの労務管理、金銭管理、あらゆるものがアナログである。おかげで家の掃除は速くなったが、ことビジネスという点では時代に取り残されている感が否めなかった。

そんな訳で時代の流れに乗ってみようと、WEB業界に身を転じてみた。ビフォアインターネットとアフターインターネットで時代は変わっていると言われるが、インターネットと冠する業種に身をおけば、時代の風を感じられるのではないかと。短絡的ある。

転職してまず感じたのは、旧時代の会社はまだまだでかいということだ。就活生には声を大にしてすすめたい。大企業を選ぼう。自分の能力を見誤ってはいけない。荒野でいきていけるのはごく一部の限られた人間で、大半はこき使われ摩耗し、いずれ使い捨てされていく。その点大企業は、たとえばブラック企業といわれども一線はひいてある。保険や休職精度は整っているし、さぼってもさぼってもお金は入ってくる。何か自分でしたいのであれば、会社の仕事を適当にして、空いた時間で副業でもすればいい。フリーランスは替えがきくから、それこそ死ぬほどこき使われる。嫌ならやめていいですよということだ。

さらに、大企業にいればネームバリューがあって、いろんな人に会いやすい。一個人であれば入れない門も、名刺一つで通れる。それを買うと考えれば、日中の8時間を捧げるだけでいいのだから、安いものだ。直属の上司はクソかもしれないが、もっと上の方の人は賢いから大丈夫。そう簡単には会社はつぶれない。つぶれたとしても、◯◯という会社に務めていましたというだけである程度の信用が担保されて、他の企業への転職も容易だ。

超人的な能力も持つ人達は言うだろう、「個人として稼げるようになれ」そんなものは無理だ。みんなができていないから、そういう発言が話題になって本が売れたりブログが読まれたりするのであって、みんながみんな、はいそうですかその通りですねといって、実行できることではない。凡人には凡人なりのビジネスライフがあるはずだ。フリーランスになったら個人として生きる何らかの目覚めがあって、自分自身が劇的に変貌し、バリバリにお金を稼げるように、なるわけでもない。それはもやはその人のそれまでの人生観や経験からくるものであって、覚悟も能力もないくせにそんな道を選ぶのはただただ無謀だ。

そもそも、未経験の業種に職を変えるという発想自体がよくない。給料をあげるためには、自分の経験・知見が活かせる業種を選ぶべきだ。Aという分野とBという分野を掛け合わせてクリエイティビティを発揮せよみたいなことがいわれるが、AもBもハイクオリティな仕事ができてはじめてできることであって、これから働き始める人や働き始めて数年の人が考えることではないし、ましてや凡人がそんな曲芸的な技をできるわけではない。むしろ企業の細分化された仕事を粛々とこなすのが、ビジネスマンのあるべき姿だ。経営者はそうはいわないだろうが、無理なものは無理だ。20数年いきてくる中でこりかたまってきた思考を破壊するくらいのことが必要で、そんなことは誰にもできない。人の人生はそんなに簡単に変わるものではない。学校でも与えられたものをこなすだけでよく、日常生活でもさほど生命の危険がおよぶような機会はない。そんな平凡な日々を過ごしてきた人に、クリエイティビティを発揮して仕事をしてくださいといっても、無茶な話だ。仕事をつくるのが経営者でそれをこなすのがサラリーマンだ。その棲み分けは明確にしておいたほうがいい。自分で仕事をつくれる人は、サラリーマンをやる必要はなく、経営者になっている。30年も下積みをして、宝くじがあたるかどうか待っているのはアホで、そんな人が経営者になってもロクなことはない。そういう人は経営者としてすぐにクビになるから心配いらない。

いつまでもいつまでも大企業の甘い汁をすすって、自分を大事に生きていくべきだ。それがこの激動の時代の、賢い生き方だ。会社がつぶれたっていいじゃないか。また別の会社に寄生すればいい。それを繰り返して、65歳までしのげれば、あがりだ。

…やっちまったなあ。

結論:大企業の会社員>フリーランス 

一言:「能力のない人が無理をするな。」